ストーリー嗜好の変化による社会への影響
友人と夕飯の間に話したことが、不覚にもそこそこ深い話になったので、備忘録としてここに記しておきます。なにぶん井戸端会議の中で展開された話なので、根拠や研究に欠ける部分も大いにありますがご容赦ください。議題は、つけるとするならば「漫画やアニメ等におけるストーリー嗜好の変化による、社会への影響」とかですかね。もう少し整理出来そうな気はしますが。
1.主人公像の変化による、個人の考え方の変化
80年代やそれ以前の話になりますが、一般的にヒーローといえばレンジャー系、ウルトラマン系、ライダー系など、「主人公が戦う」という系統でした。漫画で言えば、アトムからドラゴンボールまで、あたりです。これらに共通するメッセージは「強くあれ、弱きを助けよ」というところです。
しかし、90年代半ばからのホビーブームやポケモン・デジモン等の台頭により、自分では戦わず、友達(と称したしもべ)を使って戦う、という形態のアニメ・漫画が増えてきました。これらには仲間との友情、協調に主眼が置かれたストーリー展開が目立ちます。
つまり、「自分を鍛える」という思考から「友人との調和と尊重する」という思考へシフトしているのが見て取れます。これが、最近の草食系男子の所以なのではないでしょうか。ちょうど今の20歳あたりがこの2つの世代の境に当たるため、最近になって登場し、指摘され始めた事にも納得がゆきます。
また、以前は「何かしらの長所を持ったダメな主人公(がストーリーを経て成長していく)」という設定が目立ったのに対し、最近は「はじめから能力のある主人公(が精神的に成長する)」という形式の形式が増加傾向にあります。
ここで分かるのは、視聴者が、自分のダメなところを主人公に重ね合わせることより、自分の良いところを主人公に重ね合わせる方が良い、と趣向を変えてきている点です。つまり、「親しみやすい主人公」から、「憧れの主人公」を好むようになってきています。
ちなみに欧米では「主人公が戦う」「はじめから能力がある」というタイプの主人公が目立つ感じがします。スパイダーマンとかバットマンとかがそのあたりかと。
2.ロボットブームの衰退による、ロボットに対する考え方の変化
「コミックボンボン」が廃刊になり、学研「科学」が休刊になったのは記憶に新しいと思います。この影響について考えてみます。
まず一つ分かるのは、子供がメカ、とりわけロボットに対して憧れを抱ける環境がものすごく少なくなったことです。コミックボンボンと言えば、(少なくとも自分たちの世代では)ガンダム、メダロットなど、メカモノをプッシュしていた児童誌でした。
僕はどちらかと言うとコロコロで育った人間なので、これらメカにそれほど憧れを抱くことなくここまで来ました。(例外として、コロコロで連載していたZOIDSは好きでした。)よって、普段からメカを描く習慣がなく、大したものが描けません。ですが、ボンボンを見て育った同級生は大体メカを描くことが得意なのです。
この差は、どうやら幼少児時代のメカに対する関心度の差です。
しかし、そんなボンボンも残念ながら廃刊になってしまいました。ここで影響を一番受けてくるのは、現在日本が先進して開発している人間型ロボットの開発です。人間型ロボを開発する意味の有無はどうあれ、僕は少なくとも、この開発の方向は変わっていくのではないかと思っています。
では、これら雑誌の休廃刊により、今の子供達がメカに触れていないのかと考えたとき、別にそうではなくて、普段から携帯電話やPCといった、実際のモノに触っています。これらは今のところ、単に道具です。このまま人間型ロボットが一般家庭に浸透せず、この子供達が成長した場合、メカに対する考え方は、僕らの世代の「友達」という感覚から、欧米の考え方「道具」に変わっていくのではないでしょうか。うーん、良いのか悪いのか。
3.一応のまとめ?というか感想
そして、これらを合わせて考えてみると、エヴァンゲリオンというのは、〜80年代から90年代初頭を総括するという意味ですごいアニメだったんだなあと思います。「ダメな主人公が」「ロボット(実際はロボットでないけど)に乗り」「自分で戦う」訳なんだから、それまでの流れを全部総括出来ているなあという印象。その後にキッパリこの方向だと言えるものといえば、昔のリバイバルという意味で出たグレンラガンくらいなもんじゃないですかね?
と、こんな感じの事だったんですが、イマイチ言いたいことが収束しないので、今回はここまでで。一応、僕は考え方が変わることを良いとも悪いとも思っていません。というか、判断できません(笑)。また何かこのことについて考えたら、続きをpostしようかなあと考えていますが、あの話は偶発的に出たものなので、次はいつになることやら。
